私たちは生きている限り、さまざまな苦難困難に落ちいる。振り返ると20代で母と死別した私は、失声症に近い症状がおこり、しばし引きこもるしかなかったことがある。直後に友人の結婚式の受付を頼まれていたにもかかわらず、連絡すらできずといった始末だった。それまで信じていた神様、聖書も全て捨て、最愛の人を失ったわたしは世界一不幸せ、生きている意味があるのか そんなことまで考えた。
既に結婚を約束していた夫が、心を支えてくれたが、やはり母の無条件の愛とは違った。
わたしは不幸なんだという気持ちはほとんど変わることはなかった。

タイトルの価値観は文字では知っていた。
なぜなら聖書にあることばだから。
でも、なんの意味もわたしには与えてくれなかった。そんなこと、慰めにもならない言葉。
そう心底思い、辛い自分をどうすることもできなかったのである。

15年前になる、わたしは神様から一方的に助けられてしまった。
受洗という恵みに預かった。
そして、初めて このタイトルの価値観がストンと落ちた。これも同じく言葉に現すのが難しい。

自分の思いを遥かに超えた何かに、ぐいっと掴まれて、「こっちだよ、あなたはそのままでいいんだよ、頑張らなくていい」と。

そしてその価値観、思いのまま今に至る。
人間だから、もちろん不安にもなるし この苦難はどうして今起こるんだろうと、瞬時に希望への思いが湧いてこないことがある。
その時は、そのまま(不安でいい、プラスになれなくていい)と、そのまま感情を認め受け入れてあげるだけで、努力もいらず自然とプラスに変えられていく。
これを習慣にしていくと、不思議なことに、
希望へと切り替えられるのが、どんどんとスムーズになっていく。

結局、究極のポジティブシンキングは、不安をそのまま受け入れることから始まるわけである。

一般的には、不安であってはいけないと 頑張って頑張ってプラスにしていこうとする価値観がメジャーとされるが、それでは逆にいつまで経っても不安は消えない。苦難困難は希望になんて変わらない。そう思い込んでしまうようだ。

あなたはあなたのままがよいのだから。
今、目の前にある苦難患難は、必ず希望へと変わります。
変えてくれるのは、ただ一つ、あなたの思考だけ。