主人が雪の日の翌日、滑って大怪我をし膝蓋粉砕骨折をし手術が必要になったことで、教会の仲間にお祈りをお願いしました。
100分の1の価値観とよく言われますが、日本のクリスチャン人口は3%、しかも実際に教会に通うとか、毎日祈る聖書を読むなど、いつも神様を見上げて生活している熱心なクリスチャンは 1%とも言われています。ですから、怪我をしたことに意味があり、それが宝に変わるとか、意味があるなどと言ってもなかなかしっくりこないと言われます。
確かにそうですよね。
苦しみの真っ只中にいるのに、それが意味があると言われても、、、
厄年だとか、ついてないとか そういう考えが多いのかなと感じます。
クリスチャンの一番の喜びは、不安や恐れがないこと。
といってもまだまだ不信仰な私はもちろん、不安にもなりますし、心配もします。
ただ、それは多くの場合、長続きはしません。
重荷は全て神様に担っていただくからです。
祈りを通して、神様と対話する、、
(たいていの場合、対話というよりも一方的なお願いとなってしまいますが)
それでも神様は、愛し助けてくださる。
ですから、クリスチャン人生は日々が感謝でいっぱいになるのです。
私は韓国の教会に通っていますので、カカオトークをよく使いますが、今朝も多くの信仰の先輩方から、
祈るね!!!と、嬉しいメッセージがたくさん届いていました。
祈り合う人生、一人が多くの人のために、多くが一人のために
今も、ずっと、ある人は断食しながら祈ってくださっています。
これほどありがたいことはありません。
きっと、主人の手術は大成功、そして、リハビリのもと歩行に問題がないどころか、また、一緒にゴルフをしたり旅行したり、、そんな日が遠くないことを信じています。 みなさまに、感謝しつつ、、
100分の1の価値観とよく言われますが、日本のクリスチャン人口は3%、しかも実際に教会に通うとか、毎日祈る聖書を読むなど、いつも神様を見上げて生活している熱心なクリスチャンは 1%とも言われています。ですから、怪我をしたことに意味があり、それが宝に変わるとか、意味があるなどと言ってもなかなかしっくりこないと言われます。
確かにそうですよね。
苦しみの真っ只中にいるのに、それが意味があると言われても、、、
厄年だとか、ついてないとか そういう考えが多いのかなと感じます。
クリスチャンの一番の喜びは、不安や恐れがないこと。
といってもまだまだ不信仰な私はもちろん、不安にもなりますし、心配もします。
ただ、それは多くの場合、長続きはしません。
重荷は全て神様に担っていただくからです。
祈りを通して、神様と対話する、、
(たいていの場合、対話というよりも一方的なお願いとなってしまいますが)
それでも神様は、愛し助けてくださる。
ですから、クリスチャン人生は日々が感謝でいっぱいになるのです。
私は韓国の教会に通っていますので、カカオトークをよく使いますが、今朝も多くの信仰の先輩方から、
祈るね!!!と、嬉しいメッセージがたくさん届いていました。
祈り合う人生、一人が多くの人のために、多くが一人のために
今も、ずっと、ある人は断食しながら祈ってくださっています。
これほどありがたいことはありません。
きっと、主人の手術は大成功、そして、リハビリのもと歩行に問題がないどころか、また、一緒にゴルフをしたり旅行したり、、そんな日が遠くないことを信じています。 みなさまに、感謝しつつ、、