既にある幸せを見出す秘訣

あるがままコンシェルジュとして始まったこのブログですが、内容コンセプトは変わらず「一元美」と変えさせていただきました。長年そして今現在も学ばせていただいている「トータルカウンセリングスクール」のコンセプト「一元に生きる」よりプラスからプラスの人生観を私なりにお伝えすべく、このような形にいたしました。 皆様の毎日の笑顔のもと「ほっとできるメッセージ」をお届けしてまいります。

2025年01月

年頭に目標を立てるのだが、今年は少しハードルを下げてみた。
まず、毎日8000歩のウォーキングを平均6000歩に落とした。
とはいえもちろん18000歩の日もあるし、自宅で過ごす時間が多い日は2000歩ということもあるからである。

去年から神学校のインターネットクラス受講だったり、執筆の時間、ハンドメイドを楽しんだりの時間が増えたせいで 生活のスタイルがガラリと変わった。

秋の突然の坐骨神経症&変形股関節症でゴルフの数も激減したし、今は「夫と楽しむだけ」となったことも理由の一つ。
生きていれば、予期せぬ出来事に山ほど遭遇する。いずれ宝に変わると信じていても無理は禁物。ハードルを下げながら、そのままの自分を受け入れて感謝して生きていくのがベスト。
ところが、このプライドを下げるということを、あえて意識してみると、いつのまにか自分を大切に出来ていることに気付かされるではないか。驚きである。
何年か前に受けたセミナーで、自尊心と加点法という素晴らしい内容のものがあるが、これがまさに今の時代を心豊かに生きていくための、ヒントだと確信している。
毎日、自分を10個褒めてからねる。褒めるハードルを下げなければ、そんなにたくさん自分を褒めるなんて無理なこと。知らぬ間にどんどんプライドは下がり、自尊心が上がるという仕組みであるから、面白い。
もう一つ、プライドが下がると物欲めや下がる。過去に溜め込んだ、ブランド品、靴やらバッグやらが必要なくなる。機能性重視に変わっていく。Onとoffをはっきりと区別している自分がいる。これも、ハードル、プライドを下げたことによって得た宝である。まさに頑張り過ぎずに頑張る。あるがままにいるということになる。




私たちは生きている限り、さまざまな苦難困難に落ちいる。振り返ると20代で母と死別した私は、失声症に近い症状がおこり、しばし引きこもるしかなかったことがある。直後に友人の結婚式の受付を頼まれていたにもかかわらず、連絡すらできずといった始末だった。それまで信じていた神様、聖書も全て捨て、最愛の人を失ったわたしは世界一不幸せ、生きている意味があるのか そんなことまで考えた。
既に結婚を約束していた夫が、心を支えてくれたが、やはり母の無条件の愛とは違った。
わたしは不幸なんだという気持ちはほとんど変わることはなかった。

タイトルの価値観は文字では知っていた。
なぜなら聖書にあることばだから。
でも、なんの意味もわたしには与えてくれなかった。そんなこと、慰めにもならない言葉。
そう心底思い、辛い自分をどうすることもできなかったのである。

15年前になる、わたしは神様から一方的に助けられてしまった。
受洗という恵みに預かった。
そして、初めて このタイトルの価値観がストンと落ちた。これも同じく言葉に現すのが難しい。

自分の思いを遥かに超えた何かに、ぐいっと掴まれて、「こっちだよ、あなたはそのままでいいんだよ、頑張らなくていい」と。

そしてその価値観、思いのまま今に至る。
人間だから、もちろん不安にもなるし この苦難はどうして今起こるんだろうと、瞬時に希望への思いが湧いてこないことがある。
その時は、そのまま(不安でいい、プラスになれなくていい)と、そのまま感情を認め受け入れてあげるだけで、努力もいらず自然とプラスに変えられていく。
これを習慣にしていくと、不思議なことに、
希望へと切り替えられるのが、どんどんとスムーズになっていく。

結局、究極のポジティブシンキングは、不安をそのまま受け入れることから始まるわけである。

一般的には、不安であってはいけないと 頑張って頑張ってプラスにしていこうとする価値観がメジャーとされるが、それでは逆にいつまで経っても不安は消えない。苦難困難は希望になんて変わらない。そう思い込んでしまうようだ。

あなたはあなたのままがよいのだから。
今、目の前にある苦難患難は、必ず希望へと変わります。
変えてくれるのは、ただ一つ、あなたの思考だけ。



60歳過ぎると、気をつけていても意外な箇所にガタが出てくることがある。
55歳で始めたゴルフ、飛ばしすぎて(これは飛距離のことではない(笑)詰め込んで練習し過ぎたの意味である) 自分でも正直(あー20代で始めたかった)と全く思わなかったかと言えば嘘になる。ましてや、ラウンドレッスンの有名なシニアプロから、「あなたのようにパターの感覚が優れてる人はアマチュアでは、初めて会いましたよ、高校生だったら、賞金王にしてあげられた!!」なぁんて、褒められてしまうと、55歳である自分が悔しくてたまらなくなる。

ただ、それは一瞬。
人間だからたらればもあるよね、と自分に言い聞かせつつも、今始めることに大きな意味があるし、「これが最善」という考えに戻らされるからありがたい。

ちょっと外れるが、第一感情を蔑ろにしてしまうと、第二感情(怒りなど)が、ダイレクトに出てしまうので、 甘えたかったんだよねというような感情達の行き場がなくなり、また、癒されるも認められるもなく無意識に戻される。これは悲しい。

なので、常にポジティブ、前向き!と頑張り過ぎず、最初に出てくる感情の存在を大切にした上で、理想と向き合うを繰り返せるといつのまにか
感情達がトラブルを起こさない。

さて、話は戻して題目のヤムナボール。
そもそも、ゴルフの練習し過ぎから母子CM関節症になり、つい最近では、変形股関節症、坐骨神経痛も起こり、かなり動きが制限されていた。
そんな中、10年前に経験済みのヤムナボールを思い出し、ジムのパーソナルケアで先生に再会し劇的に改善されたのである。
関節の詰まりを、ボールでのしていくイメージ。
私の場合は、のす際に(笑)痛みも伴うが体が瞬時に整えられていくのを実感できるので、やめられない。娘からは「あれ?背が伸びた?」とまで言われたくらいだから尚更である。

ヤムナボールは、4種類のボールを使うが、まずは、土踏まずでテニスボールを踏む程度からでも始められるのでどなたにもおススメ。
劇的に変わるから、驚きである。



平日朝4時おきの習慣が身について7年になる。
かつては朝起きが苦手で、高校生時代には「社長っ」と言われてしまうほど、出勤 いや登校時間が遅いことも少なくなかった。夜ならずっと起きていられたし、何をするにも捗ると信じていた。
ところが通う教会では平日毎朝5:20より早天礼拝をやっている。早朝とはいえ車で30分はかかるので、4:50には家を出なくてはいけない。
ある時、祈り課題が大きく夜眠れないまま、この早天礼拝に行ってみた。
まさに、素晴らしいメッセージのシャワーを浴びたかのように、身体中が喜びに満ち溢れてしまった。その日のうちに祈りの課題が気にならないほど心が満たされ、しかも 朝焼けという美しい景色、満月というご褒美つきとくれば、翌日も行きたくなるのが当然。 それからはほぼ毎朝
教会に通う習慣が身についた。

前にもアップしたが、尊敬するブライアントレーシー先生のご本に、「かえるを食べてしまえ」があるが、まさにそれである。
やるべきことは一番先にしてしまう、といったニュアンスの本だが、今までに味わったことのない充実した一日に始まりとなったのは言うまでもない。
冬などはまだ、月や星が輝く真っ暗な空の下、エンジンをかけて出かけるのだから、暖かいほうじ茶の入ったタンブラーは必須。
冷蔵庫と化した車内では到着するまで分厚いダウンは脱げず、まるでスキー場にでも向かうかの如くではあるけれど、賛美と祈りと素晴らしいメッセージに恵まれる時間が待ってると思うだけで、ワクワクは止まらない。
もちろん、今日は行かずにwebでメッセージを聴こう言う日もあるが、、結局は教会で直接得る恵みに比べたら、雲泥の差。
また、頑張って早起きしよう!! となるのだ。

誰でも、習慣を変えるというのは、本当にやり甲斐がありすぎて、実行に移しにくい。また、絶対に変えなくちゃいけないわけでもなければ、なおさらである。
ただ、変えた先に想定外の宝が隠れていることが多いのは間違いない。

ことしは、そんな意味でも タイムマネジメントを改め、御言葉の朝シャンを浴びてから始まる毎日をさらに楽しむとしよう。

2024年、少ないけれど良い出会いに良い影響を受け、いつになくやる気に満ち溢れてる幕開けとなっている。

⭐️皆様にとっても躍動的な素晴らしい一年となりますよう、お祈りします。
今年もよろしくお願いします。

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